薄灯

8/6

美術モデルの現場にて。休憩中に絵描きの一人が絵を見ながら唸っていたので聞くと、私が知り合いにとても似ているという。誰かに似ていると言われることは滅多にないので嬉しかった。「でもその人、もう亡くなっているんですよ。眼差しが特に似ていて、なんだか懐かしくてね。」過ぎた日々の事を思い出している人独特のアンバーな声色だった。休憩の度に絵を見に行き、少しずつ会話をした。

しかし描くにつれて、この角度から見ると全くの別人だ、描けば描くほど違ってくる、やはり違う人なのだ、と納得していた。自分を見てある人を思い出し、想いを馳せてもらえるなんて滅多にない。美術モデルをやる意味がある日だった。

人ひとりひとりにそれぞれの人生があるということがとても怖い。面白いと思える時もある。大抵は恐ろしい。そんなわけがないとどこかで思っている。私自身についてもそうだ。自分の人生があるという実感すら無い。

電車に乗って出かけた。8割ほどの乗車率の車内は蒸し暑く、横から差し込む夕陽で目が痛い。疲れ果て、ぼんやりと窓の外を見ていた。少しずつ暮れていく空と街の境目がきれいだった。さっきまでは夕陽の光量が多過ぎて見えなかった、住居や街頭の小さい光がそこかしこに散らばっていた。夏独特の雲が浮いている。夕陽が沈んでもしばらくは仄かに明るい。夕方でもない夜でもないこの曖昧な時間が一番好きだ。すぐに過ぎてしまうのも良い。一瞬の美しいものを見るためにずっと窓の外を見続けていた。

太陽の光が散乱しているだけの現象なのに、こんなにも私の心を掴んでくる。この空の先にある、見たことも無いものさえ見えそうな気もする。そんなの気のせいだ。私は度数のあっていない眼鏡を使用しており、普段から大変見え辛い。眼鏡をかけているのに見えていないだなんて損だ。でも見える気がする。もしくは見てみたい。

自分よりずっと大きな存在に集中していると、さっきまでの悩みも薄れていく。人それぞれ人生があるのなんて当たり前だ。一体何を一人でこねくり回していたんだろう。私はいつだってそうだ。この薄明な美しい景色の中の微かな光の元に全てに人の営みがある。その光の中で人々が少しでも安らぎを感じているといい。

夜が進み完全な暗闇になる。目的の駅で降りて待っていると友人が車で迎えに来てくれた。遠くからでもあのヘッドライトの車がそれだと気づいた。大きな光に照らされた瞬間、自分以外の人の生が交わるような錯覚を覚えた。この光を頼りにしても良いのだと、許された気がした。私は誰かの灯火にはなれない。あまりにも弱過ぎる。しかし弱いなら弱いなりの光になろう。元気を与える夏の眩しい光ではなく、手のひらの中に丸くおさまるあたたかく優しい光。自分の光量とケルビンをイメージしていると落ち着いた。この明るさで十分だ。

今日関わった全ての人たちが癒され、何の不安もなく眠りについていると良いと思った。

8/7

花に芋虫がくっついていた。あとで写真に撮ろうと思い空箱に葉っぱをいれて取っておいたら、夕方には弱っていて動かなくなっていた。死んだのか疲れて寝ているのかどちらか分からなかった。庭に放したけれど、とても後悔した。

8/13

死んだ後は何も残したくないという希望と、毎日何百枚も写真を撮っているという行為の真逆さ。この差、ずれが人間としての面白みの部分なのかもしれない。この大量の日記についても、いつか煩わしくなるのだろうか。

8/18

美術モデルの日。裸婦ではなくビキニを着用とのことで、久しぶりに着る。慣れない水着な上に微妙にサイズもデザインも合っておらず嫌な気分になる。やはり裸婦が楽だ。似合う服装が全くわからないまま今日まで生きていた。いつかしっくりくる服と出会う日が来るのだろうか。36年生きているが、いまだに自分がどんな形をしているのか把握出来ていない。

就寝前に地震が起きた。我が家も少し揺れた。怖くて一気に気が小さくなる。自然災害の中でも地震が一番怖い。いまの生活が全て崩壊し、避難所で生活をする事を考えるだけで吐き気を催す。玄関に避難リュックを出し、すぐに外に出られるような服装に着替えて寝る事にする。

8/19

六月の末に大酒を飲み泥酔し、三ヶ月の禁酒を課した。「酔っている自分は良くない、自分に正しくありたい、故に禁酒をする」と宣言した時は三ヶ月どころかこのまま一生飲酒をせずに生きていっても良いとさえ思った。しかし今月の中旬にあっさりと飲む。自分の意志の弱さと裏切らなさに感服する。この先も何度も同じ過ちを繰り返し、その度に自分について嫌いになるに決まっている。立派な人間になれずとも、なろうと心掛ける事は出来る。それにしてもInstagramのストーリーズに書いて載せただけで、友人達に状況を把握してもらえるなんて、なんて有り難いシステムなのだろうか。次の禁酒宣言はもっと大々的に行い取り締まってもらおう。

8/20

自分がいずれ入る墓穴を掘りたい。どこか山奥の、人など絶対に来ない場所に、自分の体がすっぽり入り、動物に掘り返される事もないような完璧な穴!死んだらそこに埋めて欲しい。

火葬場で焼かれるとしたら、骨も残らない状態になりたい。焼いたら全て塵になっている状態は望ましくない。本当に、見事に、跡形もなく無くなりたい。

8/21

眠たくてたまらず、今週は毎日9時間寝ている。

今日も撮影をして、編集をしていたら1日が終わる。なんて幸せなんだ。私は本当に、心の底から写真が撮りたくて堪らない。撮影の仕事がない日は友人や兄弟を誘って写真を撮っている。

毎日写真を撮れる事に感謝している。自分の写真が求められる事が何より嬉しい。

8/24

人との関係について全く分からなくなり、本当に一言も口を聞けない日があった。

そんな日々の中で、何でもないように私を迎えてくれる友人たちやお店、もしくはこれから仲良くなる人たちの優しさが沁みた。強張った気持ちがほぐれていくのが体感出来た。

人がつらい思いをしている時、自分ではどうしようもない考えに取り憑かれている時、私もこうやって接する事が出来ているだろうか。何も上手く出来なくてもあなたが居て良い場所だと、伝えられているだろうか。おそらく出来ていないだろうから、これからは心がけよう。自分の居場所があるとは素晴らしい事だ。あって当たり前ではない。

1人で生きていくのは限界を感じる。どんなに怖くても苦しくても人と関わって生きていかなければいけない。

8/26

名古屋から遠く離れた小島から帰る事にする。旅客船に乗った。島に行ったきっかけは思い出せないが、些細な事だったと思う。

島から名古屋まで、船で数週間かかる。最初の2週間はひたすら眠っていた。乗船後に自動販売機でコモパンを買い占めた。たまに目が覚めた時はパンを食べ、また眠った。

久しぶりに起きて鏡を見るとやつれていた。髪と爪が異常に伸びていた。客室の外に出るのが怖いので、部屋でジッとしていた。小さな丸い窓がある。光が眩しいので塞いでいたのだが、覆いを取って外を見た。

しばらく外を見ていたが、急に疲れた。光が差し込み明るくなった部屋の隅に人が居た。膝を抱えてうつむいている。パンの残りをその人の前に置いて部屋の外へ出た。

夏休み中だからか人が多い。船の隅にある比較的空いている喫茶室に入る。お茶を飲みながら海を見た。隣に座った人の顔に見覚えがあると思ったら、小学校のころ仲良しだった友人だ。何と声をかけたら良いか分からず目をチラッと合わせ、頷き合った。彼女は水色のソーダを飲んでおり、つけまつげの先端には透明なビーズが付いていた。ソーダと同じ色の水が入った水槽があり、その中でピンクや黄色、青の金魚が泳いでいた。席から立った友人はつけまつげについたビーズを器用に外し、水槽に放り込んだ。水が発泡し、炭酸のようできれいだった。

部屋に戻ると部屋の隅に居た人がベッドに移動していた。顔をよく見ると私だった。やつれていない健康な私を見て、今の自分は目の前にいる私の精神的な存在で、実体は無いのだと気づいた。体と心がバラバラになったままだと、生きているとは言えない。「でもその方が都合が良いから」体の私の方が言った。悲しいがその通りだ。私が島に行った理由について何か知っているのだろうか?聞けば教えてくれるかもしれない。体の私はぼんやりしながら窓の外を見ていた。たまに魚が跳ねる時だけ嬉しそうだった。

8/29

カードが不正利用された。総額は10万円を超える。カード会社が補償をしてくれるとのこと。一度は溜飲を下げかけたが、怒りがおさまらない。

盗人よ。今後どれだけ善行を積んだとしても報われない、汚らわしい罪人だ。お前の父母は盗人の親だと絶望しながら息を引き取るだろう。お前自身も自分の意味の無い人生を恥ながら誰からも愛されずに生涯を終えろ。

8/31

この夏はその日一日を終わらせるだけで精一杯だった。

夏最後の日、展示会場近くで開催されていたお祭りへ。開放感を味わうと共に、この安堵の気持ちも一瞬のものだとも知っている。九月も災いと慶次、たまの珍事に翻弄され秋が終わり気がついたら大晦日になっているに決まっている。

夏の最後の夜、明日の朝起きたら問答無用で秋が始まるまでの短い今夜。夏の間に味わった感情を思い出し、その時撮った写真を見ながら過ごす。写真の良いところは、全てが記録として残っている事。酔って落として割ったスマホの画面も、友人の子の笑顔も、女の子の裸も、同じカメラで撮れてしまう。

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