愛の発見
3/1
新しい季節を感じる。
こういう時はたいてい良くない事が起こる。頭を低くしてやり過ごす。
攻殻機動隊の4Kリマスター版を見る。DVDで何度も見ているが、映画館で見る意味を感じる。音が特に良かった。細かい音の振動が伝わり、場面の緊張感が増した。
自宅にプロジェクターを導入して以来、家で見る事が楽すぎて映画館には行かない映画引きこもりが加速していた。しかしやはり映画館以上に良い環境はあり得ない。
3/7

インターネットに繋ぐようになったころ知ったギ装置Rさんの日記を読み返している。
この世のどこかに、この文書を書いて写真を載せていたギ装置Rさんがいたのだ。愛おしい気持ちと同時に涙が出てくる。この日記が更新される事はもう無い。
冬の残り滓のような寒さが続くが、春の予感でいっぱいだ。春は良い。自分の誕生日がある。皆んなからおめでとうと言ってもらえる。ありがとう、と素直に返す事が出来る。
私を特大の憂鬱な気分にさせる、夏という季節を感じさせない、全てがちょうどよく、期待と喜びに満ちた春!
バンコクで買ったアイシャドウがオレンジやピンクベースでゴールドのラメが入っており、春の華やかな色味をしている。早くこれを使いたい。
去年末から伸ばしていた前髪を切った。前髪を長く伸ばしてみたかったが、目の下より少し伸びたあたりで限界だった。前にドミロンさんに撮ってもらった写真の自分が、前髪を眉の下で揃えており、それがとても可愛いと思った。
3/8

自分の気持ちに手が付けられない。指も震えている。
これは春が来るまで辛抱だとも知っている。
せめて生活は整えようと、出しっぱなしになっていた機材を片付け、靴を磨き、未開封の書類を開け、床を拭いた。この家に引っ越してきて初めて、作り置きのおかずも作った。明日は死んでいる可能性が高いので、作り置きのおかず等作っても無駄だと思っている。明日まで生きたいという気持ちの現れなのか、気まぐれなのかもよく分からない。
久しぶりに片付いた部屋は心地が良い。
子供の頃にテレビで観たような記憶がある。ブラックジャックの実写で、ピノコを二人連れていた。男の人が必死に何かを食べ「味がしないんです」と訴えていた。男の人が泣いているところをほぼ見たことが無かったのでショッキングだった。
でもそんなもの実在する訳がない、他の多くのものと同じように私の想像の産物だと決めつけていた。
U-NEXTをザッピングしていたら、なんと見つけてしまった。存在していた!と嬉しくなる。
実写では隆大介版、アニメでは出崎統監督のブラックジャックが好きだった事も思い出した。
先月中旬に買った切り花がまだ咲いている。少し怖い。
3/9
今日は名古屋市内でマラソンが行われている。
街の主要道路が封鎖されており、通ることが出来ない道が多い。この日にうっかり外出すると大変な事になるので、迂闊に出ない方が賢明だと知っている。
攻殻機動隊の4Kリマスター版を映画館で観た。以降、蓋が開いたように郷愁が漂い始める。十代の頃に好きだった作家の小説を読んだり、音楽を聴いたり。
これらの記憶がある限り私は私でいられるだろう。もう全く違う人間になっているにしても。
今日みた夢。
巨大廃墟の中に一人で住んでいる友人に会いに行く。飼い猫が行方不明になったとのこと、友人が出かけている間に捜索を引き受ける。片隅にいる猫を発見するが私の事を不審そうに見ている。「チネチッタ」と言うと、普通の顔をしてとことこと歩き出した。猫についていくと振り返って睨まれる。猫に嫌われているらしいと気づき、ショックを受けて泣いた。頬を流れた涙は床ではなく、私のつま先に落ちた。水色の靴が少し濡れて、色が濃くなっている。色の濃い部分は少しずつ増えていく。
水色の靴が溶け出して水たまりになった。裸足で感じる水はとろりとしており、歩き出してしばらくすると粘度を増していった。一足ごとに重たくなる水に疲れて歩けなくなる。水が周囲の音を吸収しているのだろうか。あたりはしんと静まり返っている。遠くに猫の気配がする。それもやがて消えてしまうだろう。呆然と立ちすくんで一生を終えるのかもしれない。これが自分が望んだ世界だとしたらあまりにも寂しいと思った。
3/12
実家へ。元気とはいえ着実に老いていく両親を愛おしいと思う。
帰り際、母が作ったおかずを手渡される。忙しい合間に作り、容器に取り分けておいたと思うとぐっと胸が締め付けられる。いつか母の作る料理を食べる事が出来なくなる日が来る。当たり前の行為ではないのだ。感謝をしながら受け取った。食べ終わるのが悲しいから、冷凍庫に入れて永遠に保存をしようかとも思ったが、きっと食べてしまうんだろう。
3/15

友人の結婚式へ。
雨が降っていたが、それが美しかった。
3/16
寒くてたまらない。
来週は雪が降るとの予報で震えている。自宅に居たが体の芯から冷えてしまい、早めに入浴をする。
3/17

ユーハイムのケーキを一切れ食べる。ケーキなんて無限に食べられたのに、一切れで疲れる。
自炊をする気持ちになったので、調味料や料理道具を揃える。どうせすぐやらなくなる、と思っているので小さいサイズの調味料を買い、有り合わせの道具で調理をしていた。
ただ、このどうせ、という思考にならない。なんと三年弱続いている。仕事が立て込んでいる時は外食もするが、一日一食は必ず自宅で何らかを準備して食べている。それが例え冷凍ご飯と納豆、フリーズドライのスープだったとしても、私にとってはじゅうぶんな量と栄養素で、これで足りていると思える。
いつ死ぬか分からない為、物を買う事が苦手だ。不要になってしまう。学校や勉強も。私は皆んなより早く死ぬから。何をしても意味が無い。そんな自分が嫌だった。いつの間にか意固地になっていた。
今でも物を買うのが苦手だ。しかし買わなければいけない物もある。せっかく買うのならダサい物ではなく自分の好みの物が欲しい。勉強は出来ないが学びでは劣りたくない。そう思える事に慣れてきた頃、自然と私好みの物が集まってきた。相変わらず馬鹿だが偏った知識が増えてきた。そうすると固まっていた意地や、私自身に対する偏見がゆるやかに薄れていく。自分を許したのか認めたのか、何なのかは分からない。頭が良く無いので上手く考える事ができないのだが、お気に入りの腕時計や何度も読んだ本、絶対これでないといけない毛布、いい香りのする切り花等に囲まれて生活をするのはとても良い気分になる。
3/21
もう、何をしていても気分が塞ぐ。私は天才!みんなから愛されている!といけいけどんどんで爆走出来る日と、頭を垂れて目を伏せとぼとぼとと歩いている日、おおよそ半々である。
今日は履歴書に書く事が無くて泣いた。
3/22

朝起きると晴天であたたかく、春が突然やって来たと知る。
憂鬱ではあるが何もしないでいるのは良く無いと分かっている。カーテンを開けず一日中布団の中で過ごし、SNSを閲覧し、暗い気分を加速させる事も出来るが、そんな事をしても何も変わらない。
とりあえず部屋を掃除し、冷蔵庫の中を整理整頓した。これでいつ死んでも大丈夫だ!と思うと前向きになれる。
3/25

自分が生きている現実世界を受け止められない。私が生まれる前からこの世界が存在し、人々にはそれぞれ思考があり、生きている生物に全て寿命がある。恐ろしい事だ。
私自身にも寿命があり、いつか死を迎えるらしい。もうとっくに死んでいる、あるいは産まれてもいないかもしれないのに。
ふとした時に逃げ込む私だけの空想世界がある。物心がついた時分には既に存在し、現在は広大過ぎて収拾がつかない。住人達、食べているもの、住んでいる場所、洋服、全てにリアリティがあり、はっきりと存在をしている。私が撮影しているスナップ写真は、この空想世界で見ているものを探してカメラに納めていると言っても良い。心象風景と言われたらそれまでだが。
もしこの内的な空想世界が現実に現れたら、迷わず飛び込むだろう。私はいずれ現実との差に耐えられなくなる。
それでも、この現実らしき世界で起こる小さな事に一喜一憂したい。喧嘩をして気まずい仲直りをしたい。誰かを好きになったり嫌いになったりしたい。努力をしても如何にもならない物事にぶつかりたい。傷ついたら声を出して泣きたい。楽しい事があったら笑って喜びたい。様々な感情になって、それを人に伝えたい。
人について考える事が苦手だ。どんな気持ちなのか、何を言って欲しいのか、言って欲しくないのか。私に何を求めているのか。これを皆がやっていると思うと怖くなる。苦手だからとやらない訳にもいかないので、過去の経験を参照して見様見真似で行ってみたりもする。大抵は的外れな言動になってしまう。上手く出来ないから諦めたいのだがそうもいかないようだ。
他者と世界を拒絶している私を見た知り合いから、「山に篭って一人で生きてろ」と言われた。出来る事ならそうしたい。でもそうもいかないから、自分なりに頑張るしかない。
絶対に分かり合えない他者と交流をするのは、実は不快な行為ではない。この考え方をする映画の登場人物がいたな、実際にも居るのだ。この嗜好を持つ人物は私の空想世界に存在しない、新たに付け加えよう。私にとっては何よりも意味がある内側の世界がどんどんと広がっていく喜びを感じる。知る事によって豊かになっていく世界が愛おしい。コミュニケーションの目的や意味は違うのかもしれないが、確かに喜びを感じている。
私の態度や物の言い方が外的世界に存在する他者を不快にさせている可能性について考えた事がなかった。確かに、普段接している人間にこんな事を言われたら驚くと同時に嫌になるだろう。
同時に内的世界と外的世界の両立についても検討をした。今の私が出来る事で上手くいく方法は、写真を撮る事とこうやって日記を書くことだろう。わけのわからない世界観を作り続けるうちに2つの世界の整合性がとれるのかもしれない。ちなみにやりたいと思った事は無い。
3/26

何も上手く出来ない。期待に応える事が出来ず、ごめん。期待をされる事が苦しくて仕方ない。私を落ち込ませないようにひそかに落胆しているところを見ると消えたくなる。期待に応えたくないのではない。応える事が出来ないのだ。今までに何一つ満足にこなせた事は無い。
なのに人には期待ばかりしている。優しくされたいと思っている。私が好きな人たちが失望して去っていくのが怖い。
幼少の頃、母に連れられて母の友人と、その子供達の住む家に遊びに行った。母と友人はテーブルにつき、お喋りに夢中になりながらも私と子供達を観察していた。
子供達に遊びに誘われるも、それが楽しいと思えなかった。母の隣に座って大人達の会話を聞いている方が居心地が良かった。
帰宅後、「あなたも仲良くなれるかと思ったのに」と言われた。母は自分の友人の子供達と私が仲良くなり、自分達のように親友同士になる事を望んでいたのだ。私はそんな事、全く望んでいなかった。母の期待を知り、応えられなかった自分が嫌で憂鬱な気持ちになり、寝室の布団で寝転がり呆然とした記憶までもある。
あの時子供達と仲良くなれたら、もしくは仲良くなる努力が出来たなら私はいま全く違う人間になっていたのだろうか。自分が望んでいなくても、人の為にやった方が良い事がある。それが後々自分の為になる。分かってはいるのに出来ない。そんな自分に失望している。
3/26
頭と心と体はバラバラで、うまく繋がる事は滅多にない。でも今日は心と体の整合性はとれているような気がした。頭は多分どこかに捨ててきた。
noteに日記を投稿することが嫌になり、1月からiPhoneのメモ帳に書いている。
4月からは自分のサイトで更新できる。自分の力で居場所を作る事が出来る喜びと、そこ以外に存在出来ない弱さを同時に感じる。
写真集の表紙や名刺のデザインをお願いしているデザイナーの先生にサイトの作成を依頼した。
清潔で整った物が好きだ。居心地が良いと思える瞬間を増やしていきたい。
3/28
今月は家族写真の依頼をたくさん頂いた。
友人が自分の家族を見つめるまなざしがきれいで、それを見ると涙が出た。生命、愛情、季節、呼吸、体温、これらを強く感じる。目には見えない感情を表す人間という存在が美しいと思った。こんな事、カメラマンという仕事をするまで知らなかった。依頼を頂ける事、写真を撮れる事、全てに感謝をした。
3/29

友人達とお花見。
泥酔した去年の反省を生かし、ワインを一杯飲む毎に水も一杯飲んだ。
明るく賑やかで、たくさん笑った。この平和な光景を、優しい気持ちを忘れたく無い。
3/30
日に日に頭の中がばらばらになっていく。昨日までの思考や感情があっという間に消え去り、私が私として持っていた物が失われていく。
私である瞬間は一瞬で終わっていく。だから必死に日記を書いている。この日々を忘れていく自分を恨んだ。でもこうやって日記を書く手段を持っていて良かった。
早く死にたい、毎日がわけもわからずつらくて仕方が無い。私は常に死にたいが、ついに死ぬ事が出来ないのはそんな中でも少しの幸福ときらめき、愛情に感謝をしているからだ。
これが自分の中に残る最後の本当の気持ちなのかもしれない。きっと他に理由なんて無い。
